比較対象

ひさしぶりに家での更新している。

最近は飛行機や、電車、バスなど公共機関での更新が多いのですが。


家で更新が一番望ましい。

しっかりと雑音を耳にせず(嫁の海外ドラマは雑音。笑)


文面に出来るので楽しい。


タイトルの通り、

比較対象について少し記載していきたいと思っている。


世の中は常に比較の対象となっている事をご存じだと思うが、

勉強・スポーツ・遊び全てが比較対象となっている。


勉強ができる・できない。

スポーツができる・できない。

遊びが上手・下手。


一時、流れでというか。

スマップの一つだけの花


この歌のおかげで救われた人も多いと思います。

ただ、比較されない事を選び続けてどうなるのか?


という不安点ばかりが僕は浮かんでいました。

確かに得意。不得意とありますが。


比較対象もなしに出来た!満足感や達成感。

更には成長という面ではあるでしょうか?


料理店ならあそこより雰囲気、味、人すべてがそろっている。

という基準の中。

比較され、あっちの方がいいね!

なんてなるのに。


今の世の中で、

比較から逃れると何が待っているのでしょうか?

かけっこで負けても俺はいいんだ。

勉強できなくてもいいんだ。

なんて、社会の縮図の一つとして考えても難しいとしか思えません。


人と比べるという事は自身の成長にもなると感じます。

なぜか?

自分ではここで最高!と決めていた地点からそれを上回る地点に到達したのを見た時に更に頑張らなければ!と思い成長できる。


そこで上には上がいるという事を認識して、更に努力を学ぶ機会になるのではないか?

そう思ってしまう。


ある意味、エゴでもあると感じる。


ここは現実逃避させ、努力させるのを先延ばししているように思ってしまう。


それに関して何にも考えていないで。

成長をストップさせている気がする。


何か代替えがあればいいのですが。。。。


勉強できる!

スポーツできない!


逆にスポーツできる。

勉強出来ない。


何か突如とした能力が開花するのも努力の先にある事だ。

子供のうちなんて努力せずとも楽しい事はやり続けられる。


しかし、今の流れ的には全てトータルでの判断になるからこそ。

つまらないと感じている。


全て、オンリーワンで終わる怖さは絶対にある。


要するに先生や社長。

教える立場の人間に問題があるのだと思う。

教える立場の人間が変わらない限り変わらない問題でもあると思っている。








東川町の片隅で

北海道東川町の片隅で… システム開発、プロモーション、電力事業でのタイアップなど 様々な取り組みをしている若手。 夢の30歳代に一歩足を踏み入れた若者です。

0コメント

  • 1000 / 1000